そげぶのひとりごと

漫画や本の感想をひとりごとのように書いていきます。

「坊っちゃん」とロックンロール【夏目漱石『坊っちゃん』感想】

おはこんばんちはなら。

先日お休みを利用して愛媛県は松山に行って参りまして。

良いところすぎて、思わず松山ゆかりの名作・『坊っちゃん』を買ってしまいました。

 

たしか前に読んだのは高校時代だったと思うので、10年ぶりぐらいに読んだわけですが、当時とは違った味わい方ができ、やはり名作だなと感嘆せずにはいられませんでした。

9月に入ってしまいましたが、ちょっと遅れた夏休みの宿題よろしく、読書感想文でもつらつら書いてみようと思います。

 

 

坊っちゃん

坊っちゃん

 

 

 

 

【「坊っちゃん」の魅力〜古き良きロックンロール】

坊っちゃん』はもちろん、明治の時代を生きた夏目漱石著作を読むといったときに、「日本にとっての近代(化)」の理解は欠かせないのではないでしょうか。それこそ大学入試の現代文(評論)によく出てくるようなテーマですな。

ただそんな感じのことは学校でも言われるし、文庫版の解説にも書いてあるので、ぐちゃぐちゃ言うのはやめましょう。

 

私流にざっくり言うと、坊っちゃん』の魅力は、主人公「坊っちゃん」の古き良きロック魂にある!ということです。

 

 

曲がったことが大嫌い、隠し事もしない、正直にまっすぐ生きる「坊っちゃん」を見ていると、なんだかすごく清々しい気分になってきます。特に最後、山嵐と一緒に赤シャツと野だにガツンとやり返すところは読んでいてスカッとしますし、明朗かつ毒舌な気持ちのよい「坊っちゃん」の語り口は、読んでいて癖になります。

 

なぜ清々しいか。

それは、私(たち)が「坊っちゃん」のようには生きられないからです。

 

世の中のルール、上司の圧力、お金の誘惑……そういったものに抗って、「自分の信じるままに、まっすぐに生きる」、「損得に目がくらむのではなく、人の道を外れない」。

坊っちゃんが実践している、こういったことが、現実ではなんと難しいことか。

 

なんか特別悪いことをしているわけじゃないんだけど、なんか自分を、他人をごまかして、都合良く生きていないか?

坊っちゃんのまっすぐさを見ていると、そんな自問自答をせずにはいられなくなります。そしてなかなかまっすぐ生きられないなと思っているときほど、坊っちゃんの言動にはっとさせられるとともに、なんともいえない羨ましさ、憧れのようなものを抱きます。

 

 

そんな風にまっすぐ生きられない人間、あるいは、近代ヨーロッパの思想に毒され、「論理」「合理性」の名の下に、なにか大切なものをなくしてしまった人間。それを象徴しているのが、赤シャツや野だなのでしょう。

こういった人間であふれている世間に対して、「人間はそんなもんじゃないだろう」「俺はこう思うんだ、これが正しいはずだ」と噛み付く。確かにそれは正しいかもしれないけれど、大人の社会・世間では受け入れられない。一部の仲間(=山嵐)としか共有できない、どろどろした想いがある。

 

これをロックンロールと言わず何だと言うのでしょう。

 

ロックンロールが魅力的なのは、現実でやったら社会的に不適合だと言われるようなことを、歌ったりやったり聞いたりできる点にあるのではないでしょうか。坊っちゃんだって、物語の最後は犯罪になるくらいの暴力行為を働きますし、こんなことや生き方は、現実ではできない。だからそれをフィクションで見るとスカッとするし、救われる。

 

 

ともすると自分も赤シャツのような人間になっていないか不安にならずにいられない、漱石の生きた「近代」の先にある「現代」を生きている私(たち)は、坊っちゃんというロックンローラーを見て、どこか懐かしさとともに快さを感じずにはいられません。

 

 

坊っちゃんが噛みついているのは、単に気に入らない赤シャツや野だなのか、近代ヨーロッパなのか、それに染まろうとした明治日本なのか、はたまた現代のわれわれなのか……そういう小難しいことは文学者の先生にでも任せておいて、「まっすぐ生きる」ことを実演している『坊っちゃん』は、やっぱり子どもにも読んでほしい最高にロックな小説ですね。

そして大人になってもう一度読むと、なにか大切なものを思い出すきっかけになるのではないでしょうか。